葛飾北斎の肉筆、版、と私
- ミイラ 小林

- 2024年2月25日
- 読了時間: 2分
更新日:2024年3月3日

たまたま、何日か前の新聞に、葛飾北斎の最晩年の龍の"肉筆画″が載っていて、
"そうだ、元々北斎は絵師だった″と思いだした。木版の北斎に対面する事の方が
日頃多いので、そこから"鳥獣戯画″の作品を連想して、銅版画のドライポイントを
デザインっぽくしたところ、イラストのような、漫画のような仕上がりになって、
個人的に、これを干支版画、カジュアル版画と名付けたが、そうだ、古くから
こんな表現方法があったんだ、と。最近は、版画の刷りが上手くいかないことが多くて、
もう、こうなったら、一枚だけ作るための版画でもいいか、しかし、一枚だけなら、
肉筆で良いのではないか、と。
しかし、刷ることで、ちょっと変わった感じの作品になる。
そして、元々は
版画は、たくさんの人達に、"渡す″ために生産されてきて、古くは、文字の読めない
人達に、絵を図解して分かりやすいように伝達するためのもので、特に、宗教や学問の
伝達に使われてきたと言われている。
北斎は人気絵師で、その作品をたくさんの人に"頒布″されるために、刷り師が別に版を
起こして版画として売りだしている。
では、なぜ私は、わざわざ時間のかかる技法で表現しようとしているのか。
銅版画の独特の、良く言われる ″ベルべットのような黒" に魅せられている。
やはり、この黒を出さないと・・・、と思ってしまう。
″上品な感じのする黒"だと思う。
・・・人それぞれの好きな黒色があって、私は、銅版画用の油性のインクの、"銅という
金属に、紙に刷った黒″にこだわりたい、という好みがある。
木版ではなくて、銅版の、凸版ではなく凹版。
逆輸出のようだが、しかし、たくさんは刷れないが、銅版にインクを詰めて、刷る黒、そして、紙にうっすらとのこる油膜の白が美しいと思っている。





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